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japanjoboji blog

浄法寺漆産業 一人社長のブログです。 漆の産地、岩手県浄法寺の漆や漆器のこと、その他いろいろつづります。

春と修羅

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日本で有名な仏像の一つに、奈良・興福寺の阿修羅像があります。2年前に「国宝・阿修羅展」が東京国立博物館でありましたが、日本人にとってもっとも馴染みのある仏像ではないでしょうか。

これは乾漆といわれる漆の技法で作られています。
まず最初に大まかな塑像を造って、乾燥した塑像の表面を漆に浸した麻布で包み、これを乾燥させさらに漆に浸した麻布で像全体を被うという作業を繰り返して固め、最後に背中を切って像の中の塑像を削って取り出すという方法です。
なので中身は空洞になっており、持ち運びできるほど軽いそうです。戦乱や火災のときにすぐに屋外へ避難させることができたので、今でも現存しているものが多いと言われています。


その阿修羅、大辞泉にはこうあります。
「インド神話で、不思議な力を備えていた神々の称。のちに、悪神とされて、常にインドラ神と争う悪魔・鬼神とされた。仏教では、仏法を守護する天竜八部衆の一。修羅。」

また、最近発刊されたばかりの「宮澤賢治イーハトヴ学辞典」にも阿修羅の項があります。
阿修羅は当初人々から戦いの魔神として認識されていたそうで、悪役だったみたいです。それがやがて仏教に帰依して、仏教を守護する役割に変化していきました。阿修羅道という世界、永遠に闘争に終始する世界の王が阿修羅ということのようです。

興福寺の阿修羅像は画像にあるように鬼神のような感じではなく、優しい美少年のような佇まいです。他の寺の阿修羅像はもっといかめしいそうで、興福寺のは例外的な存在らしいです。

宮澤賢治の代表作に「春と修羅」という作品がありますが、「おれはひとりの修羅なのだ」「まことのことばはここになく・修羅のなみだは土に降る」と自分を「修羅」として表現しています。
これは優しい修羅でも悪神の修羅でもなく「天上の神性と地下に蠢く魔性との間に引き裂かれている生命の宿命として、仏教における『修羅』を賢治が捉え直し、新たに提示したもの」(イーハトヴ辞典・「修羅」の項より)という、自らを修羅と自覚した賢治ならではの意味合いがあるようです。

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春と修羅といえば教科書にも載っている「永訣の朝」が有名ですね。妹トシとの別れを絶唱した詩です。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
(永訣の朝 抜粋)


高校の時の授業で、この「あめゆじゅとてちてけんじゃ」をいかにリアルに読むかというのが岩手ならではという感じなのですが、それはともかくとても悲しい挽歌です。

賢治の修羅意識というものは、私ははじめこの妹が亡くなったことが契機で生まれたものと思っていたのですが、どうもそうではなくて、樺太への旅行や、アイヌ文化に触れたことで徐々に醸成されていったもののようなのです。


いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾〔つばき〕し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(春と修羅 抜粋)


この、桜が開花し始めているこの時期、世間ではいろんな修羅の声が聞こえてきます。まさに被災地は修羅場そのものですし、復旧・復興に当たっている行政、警察、消防、自衛隊の現場も修羅場。福島の原発のエリアもそうです。
人々の「いかりのにがさ」はそれぞれ。津波に対する怒り、東京電力、政府への怒り。自分への怒り。

自分を4月の修羅として捉えた賢治と、今の東北の人々の姿がなんだかオーバーラップするのです。