japanjoboji blog

浄法寺漆産業 一人社長のブログです。 漆の産地、岩手県浄法寺の漆や漆器のこと、その他いろいろつづります。

岩波写真文庫「平泉」と文化財修理

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 かねてから気になっていた、岩波写真文庫の「平泉」を古本屋で入手しました。

 岩波写真文庫は昭和25年から随時刊行された小冊子の写真集で、最近になってシリーズのうち何冊かが復刻、販売されました。

 復刻版に平泉も入ればいいなと思っていたのですが、今回は残念ながらラインナップに入らず。
 やっとご対面できました(^-^)


 中尊寺金色堂の修復については様々な書籍が出ていますが、修復前の金色堂の魅力を伝えているのはこの本しかないと言われています。当時の平泉周辺の習俗から、生々しい御遺体調査のことまでコンパクトながら丁寧に編集されています。

 ご承知のとおり、昭和の大修復(昭和37年〜昭和43年)では浄法寺の漆が大量に使用されました。五貫目樽を10本(187.5kg)出荷したそうですが、それでも不足したことから宮城県産も一部入れたようです。

 また、漆の下地に使う「地の粉」はいわゆる「中尊寺地の粉」といわれるもので、成分分析した結果、関山で採れたものを建立当時使っていたことがわかり、修復時もこれを使ったようですし、麻布も手織りの麻布を10反、漆の研ぎ出しには中尊寺境内にある椿をわざわざ炭にして使ったりと、地元の材料をふんだんに使っての修復だったそうです。 (「奥州藤原四代 甦る秘宝」岩手日報社

 麻布は今では入手困難になっていますが、写真文庫でみると平泉周辺で麻布を作っている様子があるのでこれも地元のものを使ったのでしょう。


 今では荘厳できらびやかな姿になっている金色堂ですが、修復前は金箔も螺鈿もほとんど剥げ落ちている状態で、まさに「〜兵どもが夢の跡」といった趣だったそうですが、私としてはそのボロボロになっていた状態の方に関心がありますね。800年の歴史の蓄積をこの目で確かめることなんてなかなかできることではありません。

 しかし、その800年前の漆芸技法が今に伝わっているかというとそうでもないようです。大修復時の「国宝中尊寺金色堂保存修理委員会」の漆工担当委員だった松田権六氏(人間国宝の第一号)は「漆聖」と呼ばれ業界で第一人者だったのですが、その人でさえ当時の高度な漆工技術に驚き、全容が解明できないままに終わっています。

 伊勢神宮のように20年ごとの遷宮みたいなことがあれば、修復を通じて伝統技術の継承は進むのでしょうけど、仏教ではそういう考え方は取り入れられないのかもしれません。


 100年後、数百年後にも金色堂の修理・修復が行われていくのでしょうが、はたしてその頃に原材料の確保や後継技術者が育っているのか心配になります。

 国宝や重要文化財の修復が国産の資源だけではすでにできなくなりつつあります。コストだけを重視すれば、金閣でのベトナム産漆による金箔の剥落や、日光東照宮での中国産漆使用による耐久性の低下のようなことが再度繰り返されていくだけですし、耐候性(耐光性)に優れた素材の利用も、漆という自然素材としての本来的な良さや創建当時に採用された手法やこれまで継承されてきた技術や材料が次第に無視されていく可能性があります。
 これは私の素人考えですので、文化財研究者の方々が日々熱心にお考えになっていると思うのですが、漆の仕事に直接携わってみると不安定な生活を強いられている漆掻きの方々が安心して仕事ができるようになるためには、大量に漆を使用する文化財の修理・修復の計画が提示されていることが不可欠だと思います。

 文化庁では「ふるさと文化財の森」の制度を導入してやっと本腰を入れ始めましたが、漆については本当に風前の灯の状態です。漆の木を植栽するだけでは伝統の継承はできません。植栽適地の研究、道具の改良、後継者の育成と定着、漆の需要拡大などやるべきことは多くあります。
 漆のことを身近に感じてもらえるような活動を通じて、少しでも貢献できたらと思っています。

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